先日、久々にある記事を読んで憤りと虚しさを感じた… その記事いやコラムは、皆さんもご存知だとおもわれるが 2006年8月18日付け日経新聞(夕刊)「プロムナード」に掲載された 直木賞作家・坂東眞砂子さんのエッセイ「子猫殺し」である
今日の考察は 『エゴイズムが生み出す悪行の正当化って?はあ~!?』である
こちらをご覧いただきたい
これが例のコラムである… ネット上でいろいろと騒がれているが 私も坂東眞砂子さん(以下:坂東せんせ~)の考えには 賛同できないし、理解できるはずもない
坂東せんせ~は、本文中で 『獣の雌にとっての「生」とは、盛りのついた時にセックスして、 子供を産むことではないか。その本質的な生を、 人間の都合で奪い取っていいものだろうか。』とおっしゃっているが
逆に坂東せんせ~お伺いしたいのだが では生まれてきたモノに「死」を勝手に 貴方のご都合もしくは考えで与えていいのだろうか!! 本質的な死は考えなくていいのだろうか?
さらに坂東せんせ~は 『生死に関わることでない限り、 人が他の生き物の「生」にちょっかいを出すのは間違っている。 人は神ではない。』と
あの~全く矛盾してませんか?貴方のとった行動は? 飼い猫が産んだ子猫をすぐさま庭の近くにある崖に 放り投げ、殺しているなんて!? 人ではなく、あなたは神か?と言いたくなる
結局は人間のエゴイズムが成せる神業なのであろうか… いやご都合の「生」ばかりに執着し、 「死」のあり方を全く無視した冷酷で卑劣な行為である! とはっきり言っておく!!
生きとし生けるものへの生命の尊厳は、貴方にはないのか? もし貴方がその母ネコであったら…どう思いますか? わが子を産んですぐに奪われ殺されることに…
あっ!? 坂東せんせ~には分かるはずがないか そもそも思考の回路が違うし “ネコじゃないし”って言われるのがオチですよね~
“痛み”を想像すること、感じることができる人でありたいと思う
今回のことで、自分なりに「生」と「死」を考えることができた
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テーマ:ひとりごとのようなもの - ジャンル:日記
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