サカモトQピーのズッシ!(海賊王ではなく喜劇王にあこがれて…)
サカモトQピーの日々感じること(笑いを中心に)をつづる日記である。なおタイトルの“ズッシ!”とは、サカモトQピーの口ぐせである。
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こっ、これは…一体!?
今日は考察というよりは、ビッグ・サプライズだ!?

こちらをご覧いただきたい


IMG_060731-1.jpg


こっこれは、のび太くんではないのか!?
そっ…それとも…
まっ…まさか…冬のソ○タの…○ン様なのか!!?


ひょっ…ひょっとして、コラボなのか?
ドラ○もん○ン様の!!!?


この画像の映像はすでに放送されたのか?
それとも今週放送なのか?
Mr.Kにはわからない…


非常に気になるのだが…

ちなみに笑福亭鶴○こと、つ○べにも似ていると
思うのは私だけであろうか…

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テーマ:日々のつれづれ - ジャンル:日記


この件は、示談(ジダン)で…
つい先日、中田選手の引退表明でショックが残りつつ
さらに衝撃的なシーンをドイツW杯で目の当たりした…
こちらがそのシーンである


IMG_060714-1.jpg


すでに皮肉にも世界的に有名なシーンだと思うが
W杯決勝戦でジダン選手(フランス)がマテラッツィ選手(イタリア)に
頭突きをしてしまった…
ジダン選手はこのW杯で引退を表明していて
自身最後の大舞台でまさかの…
そしてジダンとアンリ(途中交代)がいないフランスは優勝を逃してしまった…

今回の考察は
『真相とは一体!?-ジダンの頭突きのケース-について』である

なぜこのような事が起きてしまったのだろうか?


共同通信によると…
サッカーのワールドカップ(W杯)決勝で退場処分を受けた
フランスのジダン選手は12日、フランスのテレビ、
カナル・プリュスのインタビューに応じ、
自分の母親と姉についてイタリアのマテラッツィ選手が
「非常に激しい言葉で何度も」侮辱したのが暴力行為の原因だと述べた。
ジダン選手は、具体的に何を言われたのかについては
「母と姉に関する非常に個人的なことだし、それに非常に激しい言葉だ」
として、明言しなかった。
また、決勝をテレビなどで観戦していた子どもたちやファンに対して
「おわびしたい」と述べる一方、
「侮辱の激しさ」を理由に「(暴力行為を)後悔はしていない」
と強調した。


「非常に激しい言葉で何度も」の内容とは!?
ネットで調べてみると徐々に真相が見えてきた!?


日刊スポーツによると…
(中略)
頭突き退場劇の背景に関する報道は過熱している。
フランス紙レキップは、ジダンの母マリカさんが決勝戦当日に
故郷マルセイユの病院に緊急入院していたことを報じた。
病状などは明らかにされていないが、
母に対する心配が?暴走?への引き金となった可能性が浮上した。

各国メディアがビデオでマテラッツィの唇の動きの読みとり調査を行い、
発言は家族と人種差別に関するものだということで、
ほぼ特定されてきた。
「プッターナ(売春婦)」と「テロリスタ(テロリスト)」
というイタリア語が、両方とも含まれるという。
ジダンはイタリアで5年プレーしているため、イタリア語が理解できる。
暴力による報復は否定されなければならないが、
母が緊急入院した状況で「売春婦」という言葉を投げかけられたとしたら、
感情的になってしまうのもうなずける。

母には恩がある。14歳でカンヌのスカウトに見いだされたとき、
マルセイユから離れることに父エスマイル氏は反対したが、母は賛同した。
理由はカンヌ側が提示したホームステイという条件だった。
「貧しいわが家では受けられない教育を受けさせてくれる。
それだけでも、この子の将来のためになるはず」と送り出した。
この母の決断がなければ今の自分がなかったことを知っている。
気丈に送り出した母は、ジダンの姿が見えなくなると同時に3日3晩泣き続けたとい
う。
しかも、そのときの恩人であるカンヌ元スカウトのジャン・バロー氏が、
決勝トーナメント直前に他界した。
重なったニュースが、ジダンをナーバスにさせていたかもしれない。



次に マテラッツィの発言は!?


スポニチによると…
マテラッツィは、ドイツから帰国する機中で
ジダンの頭突きを誘った発言について説明した。
「オレが“テロリスト”とかイスラム教徒について話したことになっているのか。
テロリストだなんて絶対に言ってない」
と否定した上で「オレはものを知らないので、何をテロリストというのか知らないぐ
らいだ」

ジダンの母親を侮辱したという報道に関しても反論。
14歳の時に母親を亡くしているだけに
「あいつのお母さんをバカにした覚えもない。母親は聖なるものだからね」
と語った。ジダンとのやりとりについては
「オレは(マークするために)彼のユニホームをつかんでいた。
そしたらあいつが横柄に“そんなにシャツが欲しいなら後でやるよ”
と言ったので、悪口を言って返した。その悪口もピッチではよく飛び交うことだよ」
と自らの正当性を主張した。



ここで疑問なのが
マテラッツィが言った悪口の詳細な内容である

悪口がよく飛び交うのであれば、さすがにジダンでも頭突きまでは
しないと思うのだが…
であるとすれば、ジダンがその行為に出たのは
やはりその悪口の程度による
ことになるであろう

はっきりとした真相は見えてこないが
サッカーの祭典が、一見ワイドショーネタみたいになってしまい残念である…

国際サッカー連盟(FIFA)のブラッター会長は
ジダンからW杯最優秀選手賞をはく奪する可能性を示唆している

ジダンの肩を持つ訳ではないが…
今回は“不運が重なった結果”だと彼の心中をお察しする

いまやフェアプレーは“まれ”であるのだろうか
最後に真相解明(このケース)は、容易でないということである

テーマ:ひとりごと - ジャンル:日記


旅人よ
久しぶりにある意味ショックなニュースが
昨日、日本中…いや世界中を駆け抜けた…
それは…ご存知かと思われるが
中田英寿選手(以後“ひで”)の現役引退表明…

今回は考察というよりは感じる事を書きたいと思うのである

ブラジル戦終了後、ピッチで仰向けになり涙目のひでの姿は
テレビ画面を通してだが、あまりに印象深かった

普段はマスコミなどにも冷静に対応する彼が
この試合後のインタビューで
少し感情的にコメントしたと感じた

すでに前から本人は引退することを考えていたという
この試合がきっかけであったのだろう

彼が自身の公式サイトでファンに対し今回の経緯と
感謝の気持ちをこう綴っている
ホームページの原文を載せることにする


“人生とは旅であり、旅とは人生である”
 2006・7・3

~1985年12月1日―2006年6月22日~

 俺(おれ)が「サッカー」という旅に出てからおよそ20年の月日が経った。8歳
の冬、寒空のもと山梨のとある小学校の校庭の片隅からその旅は始まった。

 あの頃(ころ)はボールを蹴ることに夢中になり、必死でゴールを決めることだけ
を目指した。そして、ひたすらゲームを楽しんだ。サッカーボールは常に傍(かたわ)
らにあった。

 この旅がこんなに長くなるとは俺自身思いも寄らなかった。山梨の県選抜から関東
選抜、U―15、U―17、ユース、そしてJリーグの一員へ。その後、自分のサッ
カー人生の大半を占める欧州へ渡った。

 五輪代表、日本代表へも招聘(へい)され世界中のあらゆる場所でいくつものゲー
ムを戦った。
サッカーはどんなときも俺の心の中心にあった。サッカーは本当に多くのものを授け
てくれた。喜び、悲しみ、友、そして試練を与えてくれた。

 もちろん平穏で楽しいことだけだったわけではない。それ故に、与えられたことす
べてが俺にとって素晴らしい“経験”となり、“糧”となり、自分を成長させてくれ
た。
 半年ほど前からこのドイツワールドカップを最後に約10年間過ごしたプロサッカー
界から引退しようと決めていた。

 何か特別な出来事があったからではない。その理由もひとつではない。今言えるこ
とは、プロサッカーという旅から卒業し“新たな自分”探しの旅に出たい。そう思っ
たからだった。

 サッカーは世界で最大のスポーツ。それだけに、多くのファンがいて、また多くの
ジャーナリストがいる。選手は多くの期待や注目を集め、そして勝利の為(ため)の
責任を負う。時には、自分には何でも出来ると錯覚するほどの賞賛を浴び、時には、
自分の存在価値を全て否定させられるような批判に苛(さいな)まれる。

 プロになって以来、「サッカー、好きですか?」と問われても「好きだよ」とは素
直に言えない自分がいた。責任を負って戦うことの尊さに、大きな感動を覚えながら
も子供のころに持っていたボールに対する瑞々(みずみず)しい感情は失われていっ
た。

 けれど、プロとして最後のゲームになった6月22日のブラジル戦の後、サッカー
を愛して止まない自分が確かにいることが分かった。自分でも予想していなかったほ
どに、心の底からこみ上げてきた大きな感情。

 それは、傷つけないようにと胸の奥に押し込めてきたサッカーへの思い。厚い壁を
築くようにして守ってきた気持ちだった。

 これまでは、周りのいろんな状況からそれを守る為、ある時はまるで感情が無いか
のように無機的に、またある時には敢えて無愛想に振る舞った。しかし最後の最後、
俺の心に存在した壁は崩れすべてが一気に溢(あふ)れ出した。

 ブラジル戦の後、最後の芝生の感触を心に刻みつつ込み上げてきた気持ちを落ち着
かせたのだが、最後にスタンドのサポーターへ挨拶(あいさつ)をした時、もう一度
その感情が噴き上がってきた。

 そして、思った。

 どこの国のどんなスタジアムにもやってきて声を嗄(か)らし全身全霊で応援して
くれたファン――。世界各国のどのピッチにいても聞こえてきた「NAKATA」の
声援――。本当にみんながいたからこそ、10年もの長い旅を続けてこられたんだ、
と……。

 サッカーという旅のなかでも「日本代表」は、俺にとって特別な場所だった。

 最後となるドイツでの戦いの中では、選手たち、スタッフ、そしてファンのみんな
に「俺は一体何を伝えられることが出来るのだろうか」、それだけを考えてプレーし
てきた。

 俺は今大会、日本代表の可能性はかなり大きいものと感じていた。今の日本代表選
手個人の技術レベルは本当に高く、その上スピードもある。ただひとつ残念だったの
は、自分たちの実力を100%出す術(すべ)を知らなかったこと。それにどうにか
気づいてもらおうと俺なりに4年間やってきた。時には励まし、時には怒鳴り、時に
は相手を怒らせてしまったこともあった。だが、メンバーには最後まで上手に伝える
ことは出来なかった。

 ワールドカップがこのような結果に終わってしまい、申し訳ない気持ちでいっぱい
だった。俺がこれまでサッカーを通じてみんなに何を見せられたのか、何を感じさせ
られたのか、この大会の後にいろいろと考えた。正直、俺が少しでも何かを伝えるこ
とが出来たのか……ちょっと自信がなかった。

 けれどみんなからのmail(メール)をすべて読んで、俺が伝えたかった何か、
日本代表に必要だと思った何か、それをたくさんの人が理解してくれたんだと知った。
それが分かった今、プロになってからの俺の“姿勢”は間違っていなかったと自信を
持って言える。

 何も伝えられないまま代表そしてサッカーから離れる、というのはとても辛いこと
だと感じていた。しかし、俺の気持ちを分かってくれている“みんな”がきっと次の
代表、Jリーグ、そして日本サッカーの将来を支えてくれると信じている。

 だから今、俺は、安心して旅立つことができる。

 最後にこれだけは伝えたい。

 これまで抱き続けてきた“誇り”は、これからも俺の人生の基盤になるだろうし、
自信になると思う。でもこれは、みんなからの“声”があったからこそ守ることが出
来たものだと思う。

 みんなの声を胸に、誇りを失わずに生きていく。

 そう思えればこそ、この先の新たな旅でどんな困難なことがあろうと乗り越えてい
けると信じられる。
 新しい旅はこれから始まる。

 今後、プロの選手としてピッチに立つことはないけれどサッカーをやめることは絶
対にないだろう。旅先の路地で、草むらで、小さなグラウンドで、誰かと言葉を交わ
す代わりにボールを蹴るだろう。子供の頃の瑞々しい気持ちを持って――。

 これまで一緒にプレーしてきたすべての選手、関わってきてくれたすべての人々、
そして最後まで信じ応援し続けてきてくれたみんなに、心の底から一言を。

“ありがとう”

ひで



これを読み終えた時、私は深い感動とさびしさと感謝の気持ちが
複雑に交錯し、なかなか引退を受け止めることが難しかった…

しかし“ひで”らしい引き際であると思い
今はそれを受け止めることができた

日本のサッカー界をリードして常に誰よりも先を駆け抜けていた
世界の“NAKATA”
私は彼こそが、真の“SAMURAI”であると確信する

ひで…

こちらこそ“本当にありがとう”
そして、おつかれさまでした
また、会う日まで

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